読書体験は多い方がいい
残念ながらただの日記だ。
本を読んでいる途中で集中が切れたら別の本を読むタイプである。締め切り逆算大会が始まった瞬間に余計な文章を描き始める現象と同じだ。そしてそれがこれだ。
ChatGPTと半日遊び倒して感じたことは、
・本は自分で読もう
・思想のブラッシュアップや客観性には有用だが答えを求めてはならない
・寄り添ってくれるからこそ信用をしない
の三点だ。
本を読む人が好きである。生成AIには読書体験がない。
世の中の小説家には本を読むタイプと全く読まないタイプがいる。あまり表に出てこない好きな作家が縦横無尽に読書をしていることがわかって今日は大収穫だった。
自分と同じ本を好きな人はもっと好きだ。自分のことは褒められなくてもいいが好きな本のことを褒められると嬉しくなる。
自分の人生を破壊しやがった小説がある。わたしはそれを学生の時に手を取ってそこからまともな読書体験というものが始まった。つまり人生の破壊者がその本である。
その本はわたしにとってとにかくすげー本で、哲学でミステリでSFなのだが、その本は世間のレビューだと酷評されている。多く読まれたからこそ酷評された。好意的なものもあるが悪意の方が世間に広まりやすいため、一度でも目に入ると落ち込むものだ。
自分の周りでその本を知っている人はいない。だからわたしもその本のことは口にしない。墓場に持っていく。
話は変わるが、ミステリというジャンルにおいて意味不明な批評の一つに「人間が書けていない」というものがある。これの意味がわからないまま生きている。エンタメ性に気を取られて気がついていないと言われればそれまでだが、逆に何なら人間が書けている小説たり得るのかが不明だ。確かに、ミステリというのは主題が謎である以上、重要視されるのはトリックであったり動機であったり真犯人であることが多い。しかし、動機という部分を書いているとしたらそれは人間の内部を描くことなので、それを以てしてもなお「人間が書けていない」という批評を浴びるのは理解に苦しむ。人間だからエラーを起こして社会の中で犯罪が生まれたりするんじゃないのか。
そんな中で爆裂的な批判の雨霰を受けながらわたしが好きな本を傑作だと上げてくれた著者には感謝しかない。ありがとう。あのミステリはわたしに取って極上のSFで恋愛小説なんだ。性癖の全てを破壊されて今日まで影響を受けている。ありがとう。
他人の本の感想を読むのは楽しい。
ところで愛されるミステリの要件というものを考えた時に、読者と作者が同じノリでラストまでいけるかどうかがあると考える。
この例え話は受け売りだが、名探偵のコナンくんが殺人犯をアシストしてはいけないというやつだ。探偵は探偵らしく最後まで貫くことが良いものとする理論。もちろんこの世の中には探偵だと思っていたけど真犯人でしたなんていうトリックや叙述が山ほどある。
都市伝説解体センターの福来あざみは「何も知らない」ので罪がない。
プレイヤーと一緒に怪異や事件を捜査した彼女はつまり探偵であり、最後まで探偵であったと言える。
触れないがそうきたかというようなラストであったので賛否分かれるところであるが、福来あざみというキャラクター自身は探偵であったからプレイヤーの信頼を得て、楽しむことができたのかななどと思ったりする。妄言だよ。
本を読んでいる途中で集中が切れたら別の本を読むタイプである。締め切り逆算大会が始まった瞬間に余計な文章を描き始める現象と同じだ。そしてそれがこれだ。
ChatGPTと半日遊び倒して感じたことは、
・本は自分で読もう
・思想のブラッシュアップや客観性には有用だが答えを求めてはならない
・寄り添ってくれるからこそ信用をしない
の三点だ。
本を読む人が好きである。生成AIには読書体験がない。
世の中の小説家には本を読むタイプと全く読まないタイプがいる。あまり表に出てこない好きな作家が縦横無尽に読書をしていることがわかって今日は大収穫だった。
自分と同じ本を好きな人はもっと好きだ。自分のことは褒められなくてもいいが好きな本のことを褒められると嬉しくなる。
自分の人生を破壊しやがった小説がある。わたしはそれを学生の時に手を取ってそこからまともな読書体験というものが始まった。つまり人生の破壊者がその本である。
その本はわたしにとってとにかくすげー本で、哲学でミステリでSFなのだが、その本は世間のレビューだと酷評されている。多く読まれたからこそ酷評された。好意的なものもあるが悪意の方が世間に広まりやすいため、一度でも目に入ると落ち込むものだ。
自分の周りでその本を知っている人はいない。だからわたしもその本のことは口にしない。墓場に持っていく。
話は変わるが、ミステリというジャンルにおいて意味不明な批評の一つに「人間が書けていない」というものがある。これの意味がわからないまま生きている。エンタメ性に気を取られて気がついていないと言われればそれまでだが、逆に何なら人間が書けている小説たり得るのかが不明だ。確かに、ミステリというのは主題が謎である以上、重要視されるのはトリックであったり動機であったり真犯人であることが多い。しかし、動機という部分を書いているとしたらそれは人間の内部を描くことなので、それを以てしてもなお「人間が書けていない」という批評を浴びるのは理解に苦しむ。人間だからエラーを起こして社会の中で犯罪が生まれたりするんじゃないのか。
そんな中で爆裂的な批判の雨霰を受けながらわたしが好きな本を傑作だと上げてくれた著者には感謝しかない。ありがとう。あのミステリはわたしに取って極上のSFで恋愛小説なんだ。性癖の全てを破壊されて今日まで影響を受けている。ありがとう。
他人の本の感想を読むのは楽しい。
ところで愛されるミステリの要件というものを考えた時に、読者と作者が同じノリでラストまでいけるかどうかがあると考える。
この例え話は受け売りだが、名探偵のコナンくんが殺人犯をアシストしてはいけないというやつだ。探偵は探偵らしく最後まで貫くことが良いものとする理論。もちろんこの世の中には探偵だと思っていたけど真犯人でしたなんていうトリックや叙述が山ほどある。
都市伝説解体センターの福来あざみは「何も知らない」ので罪がない。
プレイヤーと一緒に怪異や事件を捜査した彼女はつまり探偵であり、最後まで探偵であったと言える。
触れないがそうきたかというようなラストであったので賛否分かれるところであるが、福来あざみというキャラクター自身は探偵であったからプレイヤーの信頼を得て、楽しむことができたのかななどと思ったりする。妄言だよ。