ビットコインとガレッドデロワ
みなさんこの時間ですから今年のガレッドデロワの画像が見たくなったかと思います。
朝五時に起きなきゃないのに深夜に爆発したCP厨なので小説法のはなしがしたい。なおわたしは基本的にあとがきを書かない。
わたしは自称純文学在住メタフィクション許容SFホラー小説王国に住んでいる。わたしの世界には幽霊も地獄もある。天国はない。天使と精霊はいるが竜や妖精はいない。悪意と汚辱があり僅かばかりの奇跡と救いがある。そういう世界で文字を書いている、と思っている。
わたしは基本的に二次文字書きなので前提条件を読者に既に共有していると思っているため、基本的に端折っている部分が多い。人称は三人称もしくは攻め視点で進める。特に攻めに対する外見描写は少なく、攻めが受けのことを好きである時に限り受けの容姿に関する描写を多く入れている。年齢操作など特に姫宮が物理的にでかくなっている時などは慎重に外見描写を挟む。
読者に対してどのような世界の話を進めていくのかを説明しないのは不親切であると考えているため、一言で説明できるように「なんとかするはなしです」というような文言を冒頭或いはキャプションに入れている。これは端的にコンセプトを指し、オチを含有する言葉で説明できるものとする。この前置きがなく読み進めて時間を無駄にしたと感じることをなるべく減らしたいためである。おもんなかったらごめんである。代わりに褒められたらめっちゃ書く。
書き出しを大切にしている。書き出しで合う合わないをすぐに決めて欲しいからである。
最初の章或いは序章において、そのはなしが何に帰結するのかというものをある程度書き記している。見つけられなかったらごめんなさいである。わたしはなんだかんだ、冒頭で明示された主題が終章において再び奏でられるものが好きであって、それが円環であるように思え、そこに美意識を感じるためである。
小説内の描写が全て伏線であるとは考えていない。そのため煩雑な情景描写が出てくる。例えばから始まる比喩は多い部類だ。目に見えるものは羅列したいし、目に見えないものも羅列する必要に迫られるはなしを扱いがちである。
文章を書いてみて、それが演劇として演じられるか、それとも映画として撮られるかの二パターンを想像する。両者のアプローチ方法は自分の中では明確に異なる。
誰かを甘やかすような話よりも、憎しみあっている愛の話の方が書きやすい。
読者が文章を読み返すことがないよう気を付けているが上手いこといかない。
読まれると素直に嬉しい。
偏屈であるが愛は存在するのだと信じている。信仰があり教義がある。本当に。嘘だけど。
難しいのである。
朝五時に起きなきゃないのに深夜に爆発したCP厨なので小説法のはなしがしたい。なおわたしは基本的にあとがきを書かない。
わたしは自称純文学在住メタフィクション許容SFホラー小説王国に住んでいる。わたしの世界には幽霊も地獄もある。天国はない。天使と精霊はいるが竜や妖精はいない。悪意と汚辱があり僅かばかりの奇跡と救いがある。そういう世界で文字を書いている、と思っている。
わたしは基本的に二次文字書きなので前提条件を読者に既に共有していると思っているため、基本的に端折っている部分が多い。人称は三人称もしくは攻め視点で進める。特に攻めに対する外見描写は少なく、攻めが受けのことを好きである時に限り受けの容姿に関する描写を多く入れている。年齢操作など特に姫宮が物理的にでかくなっている時などは慎重に外見描写を挟む。
読者に対してどのような世界の話を進めていくのかを説明しないのは不親切であると考えているため、一言で説明できるように「なんとかするはなしです」というような文言を冒頭或いはキャプションに入れている。これは端的にコンセプトを指し、オチを含有する言葉で説明できるものとする。この前置きがなく読み進めて時間を無駄にしたと感じることをなるべく減らしたいためである。おもんなかったらごめんである。代わりに褒められたらめっちゃ書く。
書き出しを大切にしている。書き出しで合う合わないをすぐに決めて欲しいからである。
最初の章或いは序章において、そのはなしが何に帰結するのかというものをある程度書き記している。見つけられなかったらごめんなさいである。わたしはなんだかんだ、冒頭で明示された主題が終章において再び奏でられるものが好きであって、それが円環であるように思え、そこに美意識を感じるためである。
小説内の描写が全て伏線であるとは考えていない。そのため煩雑な情景描写が出てくる。例えばから始まる比喩は多い部類だ。目に見えるものは羅列したいし、目に見えないものも羅列する必要に迫られるはなしを扱いがちである。
文章を書いてみて、それが演劇として演じられるか、それとも映画として撮られるかの二パターンを想像する。両者のアプローチ方法は自分の中では明確に異なる。
誰かを甘やかすような話よりも、憎しみあっている愛の話の方が書きやすい。
読者が文章を読み返すことがないよう気を付けているが上手いこといかない。
読まれると素直に嬉しい。
偏屈であるが愛は存在するのだと信じている。信仰があり教義がある。本当に。嘘だけど。
難しいのである。